4thの頃になると、書店やゲープショップ(ピコピコの方)でパックが買えるようになっていた。
とても良い時代になった。

タイプ1(今で言うヴィンテージ)とタイプ2(スタンダード)も規定され、より競技性が増した。

この時点の海外通販では、モックスは1万、ロータス3万。各デュアランは3千円程度で買えていた。
日本ではまだシングル売買が根付いて無かった頃。
タイプ1に全く興味を示さなかった愚かな俺は「高けぇ!」と当然スルー。

タイムマシンを誰か発明してください。お願いします。何でもしま(深い後悔

一応リバイスドを剥きまくってたおかげで、デュアランは揃ってた。
でも、スタンダードで使えんから絶賛持ち腐れ。


公式大会もドンドコ開催されるようになり、北陸三県の大会はなるべく出場してた。

渋谷のDCIセンターにも顔を出してた。
当時は高速バスで強行軍。けっこう無茶なことしてた(笑)。

アイスエイジ、ミラージュ、テンペスト・・どんどん大型エキスパンションも発売されていった。
もちろん、どのエキスパンションも猿のようにひたすら剥いていましたとも!


ネクロディスクとかチョー楽しかったなぁ。
カウンターポストを握ってたり?血迷った時期もありましたけど(人生の汚点


そして顔なじみも増え、つるむ仲間も多くなり。

そんな当時のMTG仲間が集っていたのは「魔法屋」。
石川県初(なはず)のMTG専門ショップである。

ぶっちゃけこの店は、仲間の一人が「MTGが好きすぎて、ショップを作っちゃったゾ☆」的なノリで出来た経緯があったりする。

ほぼ毎日集まり、駄弁り、好きなだけマジックをする素晴らしい環境。
何だかんだあって2年ほどで閉店するのだが、充実してたなぁ・・・。
(のちに駄弁り場は他店:フィーチャービーに移動。


あと「魔法屋」でのMTGコミュニティの話をする時、どうしても外せない人物がいる。
通称「北陸の風雲児」こと松尾悟郎くん(愛称はゴロちゃん)である。
当時の日本MTG界の最先端プレイヤーの一人であり、Wikiにも名前が残ってるほど。

彼のおかげでスタンダードでの勝率は比較的に向上し、当時のレーティングシステムでの日本ランキングが24位にまで駆け上がることが出来た。

俺のMTG人生の最盛期である。


つかね。ゴロちゃんは構築上手すぎるんだわ。
北陸にいながら、世界のMTG情報にチョー詳しかったし。
関東勢との太いパイプがあったからだろうなぁ。

プロツアーでプロスブルーム(デッキ名)が使われた瞬間、ゴロちゃん情報で仲間でレシピをコピって富山の大会に乗り込んで上位を独占したこともあったなぁ。
やりたい放題してるよねぇ。


何やかんやで楽しい日々は続いてたのだが。

世紀末の頃、仕事の都合で名古屋に行くこととなり、当時の面々とは疎遠になっていくのであった。


続く?

コメント

Hiro
2018年3月8日23:39

フィーチャービーとか懐かしすぎます。気がついたら周りからなくなってました

Horizon
2018年3月9日8:35

秘密:現実を砕くもの走らせておきますね★ミ凸凸凸

とっちん
2018年3月10日0:15

>Hiroさん
一時期はかなり店舗数もあって賑わってたんですけどねぇ・・・。
やっぱりショップ経営は難しいのでしょうか。寂しい限りです。

とっちん
2018年3月10日0:23

>Horizonさん
テヘぺろ☆

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